オノゴロ島同定

一番南に蘭嶼島があります
『古事記』は日本最古の書物ですから、教養として読んでみたいと思っていました。

それで福永武彦氏の現代語訳を買いました。また参考のために『日本書紀』の現代語訳も同時に購入しました。

『古事記』を読んで最初に興味をもったのは「オノゴロ島」のことでした。

日本の全土を作ったイザナギ・イザナミのミコトは、さまざまな島を生み出す力を持っていながら、なぜにオノゴロ島という自然の島が必要だったのだろうか。さらには、オノゴロ島に降り立ってから産んだ最初の2つの島は、なぜ役に立たなかったかにも興味をもちました。

神話ですからそう進んだのだと言ってしまえば済みそうなものですが、なぜに自然島が必要だったか、そしてその後の2つの島がなぜ役に立たなかったかを考えてみました。

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台湾の南端恒春半島のその東の海上に蘭嶼(らんしょ)という島があります。

日清戦争の賠償として台湾が日本に割譲されると多くの学者がやって来ました。当時この島は南島語の日本渡来のルートにあたると考えられていましたから、民族学、言語学の各分野の学者がやってきて、徹底的な調査を行いました。日本の文化人類学の草分けとも言われる鳥居龍蔵もやって来て、この島を蘭嶼島と名づけました


蘭嶼島にはタオ族という海洋民族が住んでいます。
彼らは民俗学者岡正雄が定義する日本民族の文化的特徴の1番目「母系的・秘密結社的・芋栽培・狩猟民文化」におおむね該当する民族です。

しかし調査の結果では、日本祖語の南島渡来説を確立するまでには至りませんでした。鳥居龍蔵は興味を失ったのでしょうか、3年後から東アジアに興味を移します。しかし日本時代この島の重要性も重く見た政府は島を隔離して文化を保護しました。おかげでタオ族の文化は損なわれずにすみました。

一方、日本が撤退した後に国民党政府はこの島に囚人と退役軍人の農場を設けて島民の生活を侵害し、また核廃棄物の処理場としてもこの島を利用しています。

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蘭嶼島のすこし北には緑島という小さな島があります。

台東市の東の海上のあたりです。むかしは「火焼島」とよばれていました。日本占領時は無人島でしたが、この島も国民党時代には重大政治犯を閉じ込める監獄島になりました。子供の頃、誰々が火焼島に送られたと聞けば、もうその人は生きては戻れないという意味でした。その後戒厳令が解かれ、政治犯たちは釈放され、今は緑島という美しい名前に変わり、海洋観光地として賑わっています。火焼島は文字通り火に焼かれた島のことですから海底火山によって出来た島です。

私はこの2つの島のどちらかがオノゴロ島と関係があるのではないかと考えました。 

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オノゴロ島(淤能碁呂島)は自分で凝縮して出来た島「自凝島」とも書きます。
自凝島とはどんな島でしょうか。小笠原の西ノ島のように溶岩が海面上に噴き出て、それが落ちて冷やされて、やがて固まって出来た島ではないでしょうか。この光景は『古事記』の天の沼矛でオノゴロ島が出来る様とよく似ています。

本居宣長は、オノゴロ島を淡路島の横の絵島だと同定しました。
しかし、絵島は海底火山でできた島ではありません。ですからそうではないと思います。またイザナギ・イザナミが作った島々は本州、四国、九州や隠岐の島などすべてが当時の日本の版図です。これは神話の枠だけを残して、中身を入れ換えただけだと思います。

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火焼島の西側に住むアミ族の神話があります。

遠古時,有一名阿波克拉陽(Abokurayan)之神,住於臺灣東方海面上,
某日,抵達波特爾(Botoru)孤島,與女神塔里布拉揚(Tarburayan)同棲該
島。某日,因猛抽懸掛於數枝之藤條而起火,此為用火之開始。二神於
是以火烤蕃薯,圍火蹲踞時,發現男神下腹有突出之物,女神則作凹下
狀,初甚不解,後見兩鶺鴒鳥(howatsuku)搖尾作狀,始知男女之道,其
後遂子孫繁衍。(許木柱等 1995︰710)

「古代、東の海にはアボクラヤンという神が住んでいた。ボトルという小島に到達し、女神のタルブラヤンとその島で同棲した。ある日、木に下がっていた藤つるをはげしくこすりあわせて火をおこした。これが火のはじまりである。二神はその火をつかって芋を焼いた。火のそばにしゃがんでいると、男神は自分の下腹部に突き出たものがあるのをみつけた。女神のそこは凹んでいた。最初、それがなにかは分からなかったが、その後、2羽のセキレイが腰を動かしているのを見て、はじめて男女の道を知った。そののち子孫が繁栄した。(許木柱等 1995︰710)

この話は、イザナギ・イザナミの尊の国生みの話と酷似しています。日本書紀の「二神の婚姻・国生み」の「別伝一書の五」にもこのセキレイに教わる話が出てきます。

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アミ族の話をもうひとつ紹介します。

阿美族與卑南族之祖先起初居住在蘭嶼。據說,蘭嶼有大地震,石頭裂
開來,遂生出他們。以後他們經由綠島而來到猴子山,兩族才在此地分
離。(移川子之藏、馬淵東一、宮本延人 1935︰512-513)

アミ族とプユマ族の祖先はもともと蘭嶼島に住んでいた。伝えによると蘭嶼島に大地震が在り、石が裂けて彼らはそこから生まれでたという。その後火焼島をへて猿山に来てこの地で二つの民族に分かれた。(移川子之藏、馬淵東一、宮本延人 1935︰512-513) 

アミ族はタオ族よりも前に蘭嶼島に住んでいたと考えられます。
大地震があったことにより、そこで生活ができなくなったので火焼島経由で台湾本島に渡ります。それから台湾山脈の東の狭い地域に南北に広がって行きます。

当時台湾山脈の西側には別の民族が住んでいました。それらの民族は中国大陸から渡ってきた民族です。あいだには3,000米を越える山脈がありましたし、向こう側の民族は精悍な首狩り族でしたから、アミ族としては山のむこうまでは勢力を広げられなかったと思います。

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最後にアミ族の大洪水の神話を紹介します。


「太古、南方にあったラガサンという大陸が天変地異で海中に沈んだ。そのとき臼に載って辛くも逃れだした男女が海流に乗って北上し、台湾にたどり着いた。二人はその地に落ち着いて結婚し、子孫も増えた。そして『我々は北にやってきた』ことを記念し、北を意味する「アミ」を民族名とした。」黒澤隆朝

このような大洪水神話は日本、台湾、東南アジアに普遍的な神話です。
記憶に新しいところでも、インドネシアの大津波があります。このように津波や台風の脅威につねにさらされる南島の民族は、家族を船に乗せて海上に出て、そして風と潮流の関係で台湾にたどり着いたのではないでしょうか。

フィリピンの諸島に沿って北上すると最初に着くのが蘭嶼島です。

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オノゴロ島が蘭嶼だとすると、ではイザナギ・イザナミの尊がオノゴロ島に立って、作った水蛭児と淡島はどこのことだったでしょうか。私は水蛭子は火焼島か、それより北上した先島列島ではないかと思います。そして淡島は沖縄列島ではなかったかと思います。

ではなぜ彼らは先島列島や沖縄列島に住まずに日本にまで渡って来たのでしょうか。それは狩猟採集で暮らすには先島列島や沖縄・奄美では小さすぎて、また台風の恐れがあります。それでさらに北上したのではないでしょうか。

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埼玉県の中妻貝塚で、女性の数が男性の半分しかない縄文人の集団墓地が発見されました。ふしぎなことに現在蘭嶼島に住んでいるタオ族も女性の数が男性の半分しか居ないのです。普通人間が生む男女の比率はだいたい同数ですから比率が取れますが、この中遺跡とタオ族の男女のバランスはだいぶ異常です、何か理由があったと思われます。興味のつきない問題です。


参考:台湾原住民研究 『アミ族』 蔡政良。『日本人になった祖先たち』篠田謙一。『日本語の源流をもとめて』大野晋。『タオ族』Wikipedia.。








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