仁徳天皇とオノゴロ島
現代語訳『古事記』主要部分 |
祖の代は第一巻に含まれています。
この部分は神話の部分ですが、神話には渡来弥生人と原住縄文人とのやりとりがあります。
巻二の冒頭は神武天皇の話で27頁を使っています。
ここでは弥生人の東遷の話がとりあげられています。
注目したいのは景行天皇から始まり履中天皇までの部分です。
この部分は一見それぞれの出来事を描いているようですが、実は複雑に絡み合った一連の権力闘争と民族闘争の歴史が描かれており、古事記の核心をなす部分です。
とはいえ、ブログで長い解説は禁物です。
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この部分の中核をなす仁徳天皇をとりあげます。
仁徳天皇は応神天皇とかぶさる部分が多く、応神天皇と同一人物ではないかという話もあります。しかし仁徳天皇は歴史上で確実に存在した最初の天皇だと言われており、巻三の冒頭を飾る天皇であり、渡来人とは思えない振る舞いをする天皇であります。
渡来弥生人はどんなことを日本にもたらしたか、水稲栽培と鉄と機織りです。
渡来人は男が戦いにそして女が稲作と機織りに勤しみました。機織りの養蚕も渡来人を特徴付けるひとつです。しかし仁徳天皇は知りませんでした。さらにそのお妃の磐之媛命(イワノヒメ)も養蚕を知らず、三様に変わる虫を見るために山城に滞在する話が古事記の中にあります。
仁徳天皇は助平な王様だったようです。
お妃のイワノヒメが嫉妬深いにもかかわらずあちらこちらの女性に手を出します。
国生みの最初にでましたオノゴロ島がその物語の中で再び現れます。
「おしてるや 難波の崎よ
出で立ちて わが国見れば
淡島 淤能碁呂島 (オノゴロ島)
あじまさの 島も見ゆ さけつ島見ゆ (あじまさは檳榔の意)」
これは天皇が恋した吉備のクロ姫を太后のイワノヒメが吉備に追い返したために、天皇が淡路島を巡視すると行って、こっそりと吉備に渡る際に淡島にて、つまり淡路島で詠んだ歌です。本居宣長はこの歌をみてオノゴロ島は淡路島の先端にある絵島と同定したのだと思います。
仁徳天皇はつぎつぎと女性に手を出しますから腹をたてたイワノヒメは山城に行ったままもどって来ません。それで天皇は山城まで追っかけ、イワノヒメを戻るように説得しますが、その一方、都に残した女性にも恋歌を送ります。これではイワノヒメがもどる訳がありません。
イワノヒメは葛城の人でした。
葛城は代々天皇家と姻戚関係をむすび勢力を拡大していた在地の豪族です。その葛城家から嫁いできたイワノヒメが養蚕を知らないことはありえるとしても、仁徳天皇が養蚕を知らないとなると話がすこしおかしくなります。養蚕は天皇家の女性が代々受け継ぐ仕事でもあったからです。仁徳天皇が幼少時に養蚕にせっしないことはまずありえないからです。
しかしイワノヒメが山城まで行ったのは、天皇に腹をたてたわけではない、この殻にこもり三様に変化する虫を天皇に見せたかったからだ、と使いが天皇に説明すると「なるほど不思議なこともあるものだ、それでは私も、ひとつ見に行ってみよう」と天皇は答えます。
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河内王朝について
仁徳天皇と同一人物ではないかと言われる応神天皇は河内王朝の創設者のひとりだと考えられています。河内王朝は「王朝交替説」にも関連してとおり、仁徳天皇がもし蚕をほんとうに知らなかったとしたら問題は重大になりかねません。
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