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昔の台北日本人学校 

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高坂知武先生 大昔になりますが私が台湾に居た頃(1950年代末)、台北の日本人学校の人数は小学生が20人ほどで中学生が3人でした。小学生は台湾大学の教室を借りて、女の先生1人が全学年を教えていました。 中学校は台湾大学の教授である高坂知武先生が自宅を開放して週何回か教えられていました。 高坂先生は高名な学者で →台湾大学の先生の記念館 には先生の事績が展示されています。言語は中国語ですが当時を生活を思い出させるたくさんの写真があります。 兄と姉が教わっている時、ご家族で催された演奏会に生徒の家族たちが招待されました。庭が見える明るい居間でピアノ三重奏のようなものを聴き紅茶とケーキを頂きました。 この居間で楽器を手入れされる先生の写真が記念館にあります。写真では楽器の手入れでごちゃごちゃしていますが演奏会の日はほんとうに綺麗で広さにびっくりしました。 先生は台湾大学交響楽団、合唱団の創設と育成にも尽力されました。