国生みからみる弥生時代の勢力図

国生み 接頭辞順
イザナギ・イザナミのミコトの国生みでオノゴロ島と水蛭子、淡島の後に現在の日本の島々が生まれました。その順番は一見秩序はなさそうですが、しかしそれなりに意味があるようです。

まず生まれた島を名前順に書いていきます。

1) あわじのほのさわけのしま (現在の淡路島)
2) いよのふたなのしま (現在の四国)
   ・エヒメ (現在の愛媛、うつくしい乙女の意)
   ・イヒヨリヒコ (現在の香川、米を産する男)
   ・オホゲツヒメ (現在の徳島、アワを産する女性)
   ・タケヨリワケ (現在の高知、雄々しき男子)
3) おきのみつこのしま 別名アメノオシコロワケ (海原の沖合にある3つの島)
4) つくしのしま (現在の九州)
   ・シラビワケ (現在の福岡)
   ・トヨビワケ  (現在の大分と福岡の一部、豊の国)
   ・タケヒムカヒトヨクジヒネワケ (現在の佐賀、長崎、熊本)
   ・タケビワケ (現在の熊本南部と鹿児島県、熊襲の国)
5) いきのしま 別名 アメヒトツバシラ (現在の壱岐、離れ小島の意)
6) つしま 別名 アメノサデヨリヒメ (現在の対馬)
7) さどのしま
8) おおやまととよあきづしま 別名 アメノミソラトヨアキヅネワケ
    (現在の本州、五穀の豊かに実る島の意)
  
以上が大八島国生みです。そしてその後にオノゴロ島に戻り、また6つの島を生みます。

a) きびのこじま 別名 タケヒガタワケ (現在の岡山県児島付近)
b) あずきしま  別名 オホノデヒメ (現在の小豆島)
c) おほしま  別名 オホタマルワケ (所在地不詳 瀬戸内海の島か)
d) ひめじま  別名 アメヒトツネ (現在の大分県姫島)
e) ちかのしま 別名 アメノオシオ (現在の五島列島)
f) ふたごのしま 別名 アメフタヤ (現在の五島列島)

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国生みで一番最初にちゃんと生まれたのが淡路島でしたから、本居宣長はオノゴロ島は淡路島付近の絵島だと同定しました。しかし私は絵島が火山島ではないことから済州島ではないかと考えました。

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まずこれらの地名を分析して行きます。
ことばには接頭辞というものがあります。ある単語のまえにつけて何らかの属性を加えるものです。たとえばお母さんの「お」は尊敬を表す接頭辞です。国生みでもいくつかの接頭辞が見られます。代表的なのはオホゲツヒメの「オホ」、タケヨリワケの「タケ」、トヨビワケの「トヨ」、そしてアメノオシコロワケの「アメ」です。これらを図のように表にまとめました。

どうやら「アメ系」渡来人が渡ってきた時の島々につけた名前のようです。
大分県の姫島を除いてはすべてが済州島の方を向いています。向いていない姫島に最初の安住の地を見つけた可能性があります。それから日向へ渡ってから北九州へと向かったとも考えられます。

「アメ」は渡来系征服者自身を指します。

中国の正史『新唐書』の巻220にそのことが書かれています。

「日本,古倭奴也。去京師萬四千里,直新羅東南,在海中,島而居,(中略)其王姓阿每氏,自言初主號天御中主,至彥瀲,凡三十二世,皆以「尊」爲號,居築紫城。彥瀲子神武立,更以「天皇」爲號,徙治大和州。次曰綏靖,次安寧,次懿德,」・・・後略。

「日本、古代の倭奴なり、京師より万四千里、すなわち新羅の東南、海中にあり、島を居とする、(中略)その王はアメ氏を名のり、みずからをアメノミナカヌシと号す、彥瀲(ホヲリノミコトとトヨタマヒメの子、神武天皇の父)にまで遡ること32代、すべて「ミカド」と称す。筑紫城に居す。彥瀲の子神武が立つと「天皇」を号し、大和州に移りそこを治める。その次は綏靖と称す、次は安寧、その次は懿徳・・・」後は略す。

「オホ系」はよく分かりませんが、オホという言葉には尊敬の意味が入っており、渡来族に友好的な地域を名づけた可能性があります。

つぎの「タケ系」は基本的に弥生系渡来人と対立した現地勢力だとおもいます。この系は九州の熊襲を中心に岡山の吉備地方でも勢力を張っていたと思われます。

最後の「トヨ系」は弥生渡来人の定着後型と言えるかも知れません。
アメノミソラトヨアキヅネワケを私は「トヨ系」だと考えます。アメノミソラ・トヨ・アキヅネ・ワケと読めばアメノミソラはトヨの接頭辞と考えられます。アキヅネを直接修飾するのはトヨですから、私はトヨ系に入れました。






  

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