オノゴロ島再同定

チェジュ島(済州島) Wikipedia
前回『古事記』にあるオノゴロ島とは台湾南端東の海上にある蘭嶼島か火焼島(緑島)ではないかという仮説を立てました。
その根拠は「縄文時代の西日本ではポリネシア語のひとつが使われていた。その単語の全ては母音終わりである」(大野晋)という点にありました。
たしかにむかし蘭嶼島や火焼島に住んでいたアミ族のことばはポリネシア語であり、且つあ・い・う・え・おの五母音を使う母音終わりのことばです。そうであれば大野晋氏の仮説とかぎりなく近くなります。

ところが『古事記』の神話の主人公は弥生人です。
『古事記』全体が関わってくるのは弥生人の歴史であり、縄文人がかかわる部分は被征服者としての部分になります。そうであれば国生みの神話は隼人(熊襲)や蝦夷(東夷)とは関係はなく、扱いも違って来るでしょう。だからそのように分けて考える必要があります。

弥生人の出自はむかしは朝鮮半島だと思われていましたが、最近は中国の東南部からの渡来が有力になって来ました。ではその線で考えてみます。

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弥生人が中国の東南部から渡って来たとなるとオノゴロ島の場所が変わります。

この場合、オノゴロ島を台湾の付近だとは言えなくなります。なぜなら弥生人の人骨と近似する人骨が見つかった場所は山東省、江蘇省、安徽省のあたりで、もし水稲栽培が発達した河姆渡遺跡がある浙江省も入れたとしてもいずれも黒潮と偏西風から考えると台湾に向かうにはやや難があります。そこで韓国のチェジュ島=済州島が浮かんで来ます。

済州島はオノゴロ島の条件である自凝島つまり海底火山が噴火後に冷えて固まった火山島である条件を満たします。

チェジュ島経由で弥生人はさらに東の五島列島か対馬・壱岐の島を経由して九州北西部にやってきた可能性があります。オノゴロ島でまず産んだ二つ島が役に立たなかったのは、水稲栽培で生計を立てていた弥生人にとって、五島列島の二つの島も対馬と壱岐の島も小さくて役に立たない島だったのでしょう。それで水蛭児と淡島と名づけて無視したのではないでしょうか。

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