時代を映す歌 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 6月 13, 2014 香港空港で展示していました。 作者の名前を記録するのを忘れました。もうしわけありません。 時代が後戻りしているような気がします。集団的自衛権とは戦争へ向かう道だと言われています。 平和な日本、戦争を放棄したはずの日本が、戦意をあおるニュースや解説などであやまった方向へと導かれているような気がします。 そんな時代に抵抗した庶民の歌がありました。 よさこい のんき節 すーちゃん節 ノーエ節 デカンショ節 十九の春 ストトン節 ああわからない 東京節 ダイナマイト節 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
日本語能力試験とTOEICの関係 - 6月 26, 2014 日本語能力試験とTOEICの関係 TOEICは今や日本のサラリーマンにとって大変なプレッシャーです。学生さんにとってもTOEICは入社試験の足切りに使われますから得点が気になるでしょう。 ところでTOEICは一体何点取れば良いのでしょうか。それを外国人が受ける日本語能力試験との比較で考えてみたいと思います。 図は日本語能力試験とTOEICとの関係です 。 この図で分かりますように、日本語能力試験の最高レベルのN1クラスでもTOEICでは650点以上にしかなりません。 根拠は →実用日本語検定「J.TEST」 。 それならTOEICは650点あれば良いことになります。 事実日本の一流企業や大学はこのレベルで外国人を受けいれています。これが日本の大学や企業が期待する日本語能力のレベルだと言えます。 私が社内翻訳者として働いていた大手電機メーカーでも外国人の中途採用は日本語能力試験の一級(N1)を持っているかどうかで判断していました。 社内には何人かのN1取得者がいました。会話はそれほど流暢でない人でも、メールや報告書ならちゃんとしたものが出せます。言い回しがさほど上手でない人でも意味の言い違いをすることはありませんでした。このレベルになると、少なくとも自分の実力が分かりますので、不安があれば自己チェックをするかまわりの日本人に確認をします。 そういう意味で日本語能力試験N1相当がTOEICの650点レベルならTOEICで達成した後はもう試験を受ける必要はないでしょう。しかし会社はそうは思っていないようです。 そこにはTOEICと日本語能力試験の微妙な違いが存在するからです。 *** TOEIC と日本語能力試験の違い J.TESTがどのようにしてTOEIC 650点をN1級相当として割り出したか分かりませんがこの TOEIC 650点とN1の比較にはやや注意が必要です。 N1の合格はN1に限定された問題を60%以上正解すれば合格できるという学力試験です。一方TOEIC の方はプロフィシェンシーと呼ばれる運用能力が問われるテストです。業務知識の有無、素早い反応、その上で英語力が問われる試験です。日本語の →N1クラス の問題例から分かる通り運用能力や俊敏性とはあまり関係がありません。 さらにTOEICには誤差が加... 続きを読む
淡水河 - 8月 21, 2018 堤防より長沙街を見る 淡水河 淡水河は台湾の北部を流れる大河である。 標高三千五百二十米の大雪山系品田山を発し、台北市の西側を流れ淡水で台湾海峡へと流れ入る。全長は百六十キロ、台湾三番目の大河である。しかし地図上で淡水河とあるのは台北市の南西萬華(バンカ)区から河口の淡水までのわずか二十三・七キロに過ぎない。上流の大漢渓の百三十五キロが加えられているからである。 品田山から流れ出る大漢渓は、一旦は西に下るが、石門で北東へと方向を変え、台北・桃園平野へと流れ出て、台北市の南西で淡水河に流れ込む。上流の石門には現在ダムが建設されて昔の面影はないが、以前は石門渓谷と呼ばれ森林資源が豊富な地帯であった。 淡水河にはもうひとつ源流がある。新店渓である。この河は台北県の南部、双渓郷に水源を持つ。標高は七百米で、全長は八十一キロと大漢渓よりは短い。この河は台北市に向かって北上してくる。河は山間部を流れて、たびたび蛇行をする河である。特に台北南郊の新店では、深いS字形に蛇行した後、台北市の南西部で更に蛇行してから淡水河に流入する。 ふたつの河が合流する辺りに台北市の萬華区がある。この辺りは台北市が、そこだけは南西に凸出した地域である。萬華は台北市の発祥の地でもある。十八世紀の初め、向いの福建省泉州から移住して来た人々によって拓かれた町である。当初は蕃薯市と呼ばれていたが、その後艋舺(バンカ)となった。バンカとは、漢化した原住民ケタガラン族の丸木舟を指す「ヴァンカア」から来た言葉である。この辺りでケタガラン族の丸木舟をよく見かけたことによる。それに艋舺と言う当て字が使われた。艋舺は大漢渓の木材を集める木場として発展した。そして日本が植民地にする前までに艋舺は「一府、二鹿、三艋」と(呼ばれるようになった。 一府とは、清朝の政庁が置かれていた台南の安平府。二鹿は、天然の良港である彰化の鹿港。そして三艋とは艋舺(バンカ)のことである。日本の占領時代、「バンカ」が日本語の万華の音に似ているとして万華と書かれるようになった。そして光復(日本の台湾返還)後は、今の萬華が使われるようになったのである。 萬華は台北市の発祥の地だけに古い物も多く残されている。中でも台北市の古刹龍山寺は派手な装飾で日本人観光客にも人気がある。このお寺の観音様は現世利益の神様として台湾人... 続きを読む
英語初通訳 1/5 - 7月 25, 2015 アメリカの孫とサウザンアイランドで 英語通訳の話がありました。 中国語が専門ですから英語での経験はありません。ましてや私の英語は独学でしかも 読学 だけで鍛えた英語です。通訳はとても出来ないと思っていました。 こんどの話しは純然たる日米通訳です。しかも数ヵ月にわたる長期の仕事です。登録会社には専門ではないからと断りました。翻訳ならば時間があれば対応できます。しかし通訳は瞬時が勝負です。とても出来ないと思っていました。 *** 通訳の主流は女性たちです。それで会社に彼女たちに頼んで下さいと言ったのですが、ところが彼女たちは工場内のアテンドは好まず、会議での通訳ならやりますが……と会社は断られたそうです。それで私におはちが回ってきたのです。会社もできることなら私を使いたくはなかったでしょう。 とは言え、英語の通訳の経験がない人間にこのようなチャンスはめったにめぐってきません。もしこれを逃がすと次はないだろうとその時思いました。やれるかどうかの自信は全くありませんが、まぁ、自分の実力を見極める良い機会だとして引き受けました。 *** 実践 初日はやはりさんざんでした。 初日は滞在中に守らなければならない入管の注意を通訳するように言われていました。 説明には対訳のテキストがあるから何とかなると思っていました。ところが説明者はテキストを離れて日本語で内容を説明をはじめたのです。 こちらはそれを英文テキストの中から探しだそうとしますが見つかりません。しどろもどろで言葉をつなぐ私にアメリカ人は当惑します。私の言っていることがほとんど分からなかったはずです。 つぎに日本人の説明者が「テキストを見て下さい読んでいきます」と言った時にはホッとしました。 私は最初は説明者が日本語で読むテキストを書いてある通りに読んでいましたが、書いてあることと同じなので読むのをやめました。ただ説明者が時々行う解説をテキストの英語から抜き出して自分が言える範囲で訳しました。 アメリカ人には、私の言っていることはほどんど分からなかったようです。ただ説明者が「この内容は退屈だから寝ててもかまいませんよ」と言った時はうまく訳せたので爆笑もありました。そうしてなんとか一日目を終わらせることができました。 一日目が終わり、「明日もよろしくお願いします... 続きを読む
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