日本語指導員

友人が中国に帰ることになりました。そして彼女がやっていた日本語指導員(教育サポータ)の仕事を引き継ぐことになりました。

サポートするのは小学校の4年生です。まだ日本に来てから数ヶ月しか経っていない男の子です。日本語はほとんど話せません。でも授業について行ける学力は持っています。

友人は中国では小学校の先生でした。そのおかげで来日半年足らずのあいだにこの子の言葉のギャップにかかわらず教育の継続を成し遂げていました。

引継ぎのために3日ほどその友人のやり方を観察しに行きました。そしてこれを続けるには並大抵の精神力と体力では足りないと感じました。

小学校の4年生の授業とはすさましいものです。私のように社会の淀んだ池の中を漂っていた水藻のような脳みそにとって、それは突如沸騰するビーカの中に投げ込まれふっとうする泡にこづかれ行き場を見失うようなものです。

ハイテンションな話し声、教室の端から端まで飛び交う話、分からない短絡的な子どものことば、さらにそれを取り仕切る先生の大きな声がまじり、私の脳みそは意味をさがしてウロウロとよろけて、ついにはストンと暗黒の中で倒れるのです。

子供の世界はまさにブラウン運動です。

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