心の中の言葉
①「脳が心を生み出す」→「心像」
失語症の研究者山鳥重氏は言葉の元は「心像」だと言いいます。「心像」とは心の中にあるイメージです。この心像は外界からの刺激を受けて、それを新情報としてとりいれる際に、感情や感覚に滞りが起きて、それがイメージとなり一定のカタチになって心で像を形成するものです。この「カタチ」は心の中では意識されます。
②「語義の理解」→「呼称」
人間が文章を理解する時、まずは単語を見て「呼称」を確認します。つまり呼び名の音を心で聞きます→その音によりその単語の意味を理解します。その後センテンスを理解して長文を理解する順序をだどります。この呼称により意味のグループからふさわしい語義を抽出します。
語義のグループはある空間的に存在する語彙群です。失語症にはこの空間的存在が壊れて言葉が出ない場合があります。つまり単語とはこのように空間的に存在し「呼称」によってカタチとなって現れるものです。「呼称」によって全体の中から一部が抽出されるのです。
余談ですが山鳥氏は失語症の患者は最初の音に引っかかる例があると言います。単語抽出の最初の音がでないと「呼称」は不可能ですから語彙から単語を引き出せません。またある種の患者にとって固有名詞は簡単だが普通名詞はむずかしいと言っています。一方では固有名詞が人物の場合は意味記憶が後からでも追加されるのでそれで思い出し難いとも書いています。
つまり単語は脳の中で一つ一つの単語として独立して保存されるのではなく音によって呼び出される心像です。心像は一旦音韻と結びついた音韻塊心像群としてひとかたまりで保存されます。しかし不変ではなく情報の追加とともに変化して行くものなのです。
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③ プロソディ=リズム・抑揚・強勢(英語らしさ)
心の中の声「思考」を言語音の流れに変換することはプロソディにかかっていると言います。プロソディとはその言語が持つ「らしさ」です。外国語だけでなく大阪弁も東北弁にもプロソディがあります。大阪弁を話すには大阪弁特有の強勢・リズム・抑揚が必要です。このプロソディがなければ方言特有の表現も出てこないので英語も英語のプロソディに慣れていないと発話は難しいと思います。
④ ペラペラと分かるは違う
私が教えた例ではありませんが小学校の五年生で日本に来て半年ほどでクラスの友達との会話に困らない程度になった子どもがの六年生になるとみんなから疎外された例があります。またその子は会話はペラペラなのですが文章問題が全くできなかったとも聞きました。
山鳥氏は言語には常套語というレパートリーがあってこの分野は文法能力の動員が少ないと言います。だから常套語は流暢に話せても複雑なことはうまく話せないことがあると言います。ペラペラだほめられると自分自身の言語能力に過信して言っていることが相手には理解されていないのに分かっていると思いこむ可能性があります。このような自己の言葉への固着は外国語学習ではよく現れる化石化の一種ではないでしょうか。
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⑤ 発話エネルギー 話し始めるための力
英語の劇やニュースを聞くと話し始めが極端に強調されているのが分かります。どうも人間は本来は引っ込み思案らしく心で思ったことを口で表現するにはある「勢い」が必要なようです。このハードルを乗り越えるには「強勢」という話し始めるためのシキイを乗り越える「発話エネルギー」が必要なようです。プロソディはそれを援護しますがそれにもまして感情が必要なようです。カラオケでなかなか歌わない人もオハコの曲が聴こえてくれば思わずマイクを握ってしまうようなものです。
⑥ 感情が湧く
心の中から湧き上がる感情を氏は「観念心像」と表現しています。ある入力に対し感情が湧く「観念心像」は心にイメージが入った時それが意識されて思いとなります。多感な人ほど多くの「観念心像」を持ちますから発話のチャンスも多くなります。しかし発話にはエネルギーが必要ですから英会話学校で発言の極端に少ない人は英語能力そのものが劣る場合もありますがこの「観念心像」の少なさも影响しているかも知れません。
発話に関する心像の大本は「音韻塊心像」という音に関連した大きな心像のカタマリです。これは未分化の心像塊として心に配置されており会話の時にその時に感じた思いにふさわしいものがその中からひとつ選ばれます。例えば感謝の「観念心像」が湧けば「ありがとうございます」という音韻心像が音韻塊心像の中から選択されます。
⑦ 構音運動 声を出すまで
感謝の気持ちが湧き「ありがとうございます」という音韻心像が選ばれたとしてもまだあいまいな心像です。それが最終的には「ア・リ・ガ・ト・ウ・ゴ・ザ・イ・マ・ス」と発話に至らせるまでには、まず心の思いを音韻塊心像からイメージにそって音節分離をします。まずは「アリガトウ・ゴザイ・マス」という3つの単語に分離されます。更にこの単語の音を分化させて発声の順番を系列化します。そして[a-r-i-g-a-t-o-o-g-o-z-a-i-m-a-s-u]の順番に発声器官を運動させて発話します。
⑧ 会話理解と文章理解
言語活動は耳で聞いた言葉を思い(意味)に変えてそれにより湧いた思いを音として口にだす聴覚性活動と文字で読んだり書いたりする視覚性活動があります。この聴覚性情報と視覚性情報の処理には違いがあります。それは聴覚性情報がセンテンス→単語→音節と全体から個別へとマッチングさせるプロセスを経るのに対し、視覚性情報は音節→単語→センテンスと逆に個別から全体へというプロセスを経ることにあります。
バイリンガルと言われる子供は普通日常会話から第二言語習得を始めます。日常言語のほとんどが常套語のやりとりです。子どもは小さいうちは記憶容量に余裕がありまた小さければ小さいほどその常套語の数は限定されます。家庭や学校に行く前であれば全てをそらで覚えてしまうでしょう。
さらに最初に覚える言葉は聴覚性言語です。センテンスが最初の単位ですからセンテンスで覚えてしまいます。常套句は文法的に省略された言葉が多くいかにもネーティブ的です。また小さいうちは発音を真似やすいのでネーティブに判定してもらわない限り違いは分かりません。そうして大人はだまされます。うちの子は発音はネーティブ並みで会話はペラペラ且つ文法も完璧だと。しかし彼らの語彙の音韻塊心像としてはどうなっているのでしょうか。
バイリンガル特有の言語障害は多く報告されています。
一方の視覚性言語は文章は読むにしろ書くにしろまずは単語から入ります。単語は音で読みますからまずは音韻心像の形成が要求されます。音韻塊心像はそれらの積み上げでありますからその音韻心像は徐々に増えていく複雑な語彙空間に何らかの座を得ているのだと思います。
第二言語や外国語の音韻塊心像の座は失語症の患者でも母語と外国語の区別が可能ですから外国語と母語とでは違う位置を占めるかも分かりません。あるいは宿り木のようにただ母語の基礎の上いるだけかも知れません。ただ視覚から入る英語情報が文字→音素→音節→単語(形態)の順で区切られ個別単位として音韻心像として心の語彙に入るのであればセンテンスを優先する聴覚性情報よりも単語力の増強に向いていることが考えられます。
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山鳥氏は多感でなければ観念心像は涌かないと言っています。何事にも興味をもち感情豊かでなければ発話レパートリーは育ちません。外からの刺激で感情が揺すぶられてそれを音韻心像に変えて音韻塊心像に蓄積しさらなる外からの刺激で観念心像を引き出し発話を楽しむことこそが必要ではないでしょうか。
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