中国語の源流を求めて (5/5)南北中国語の融合
ミャオ・ヤオ族敗走図 from Hmong mian diaspora |
5000年ほど前から地球規模の冷涼化が始まります。数千年単位と気候としてはわりに短いものでしたが人類にとってはとても衝撃的なものでした。
気候は徐々に下がりついには4000年ほど前に現在の気温に落ちつきますが、新石器時代に発展していた中国東北地方或いはモンゴルの農業は壊滅的に破壊されます。温湿な森林焼き畑農業から乾燥した草原放牧に生業の転換を余儀なくされます。
人類はさほど器用ではありません。ましてや当時はまだ集落社会でしたからその部族ごとに生存を図ります。
現在は北欧に多い民族も元々はここにいましたが彼らはさらに北のツンドラ地帯へ向かいトナカイなどの放牧を生業とします。彼らはウラル語を話す人々です。
他にも中国語の原語シナ・チベット祖語を話す民族がいました。彼らは元々やって来た場所に戻ります。そこは黄河の中流域の黄河文明発祥の地「中原」とよばれる場所でした。
焼き畑を生業としていた部族はそれよりさらに南方から上って来ていた民族です。彼らの言葉は現在の中国語に似ていました。但し名詞の修飾語は名詞の後に例えば赤いリンゴは「リンゴー赤い」というように中国南方の言語の特徴を持っていました。
彼らの一部は朝鮮半島経由で日本に来たかも知れません。日本人の遺伝子に痕跡があるからです。しかし大部分は気候の変化に沿って黄河流域を目指したでしょう。
最終的に彼らは淮河の流域にまで到達したと思われます。淮河を越えると稲作には適当な土地が見つかるはずでした。しかしそこで彼らはこれまで出会った民族とちがう民族に出会います。同じ稲作民族でしたが水耕農業に長けた新しい文化を持った民族でした。敵対的ではなかったのですが土地の提供は拒否されました。
南方は彼らが北上してから数千年は経っていました。水耕稲作という焼き畑とは違う効率の良い農業が発達して人口も爆発的に増えていました。仕方なくまた黄河流域まで戻りますが黄河流域もシナ・チベット祖語を話す先住民が居ました。
彼らの望む耕作が可能な水資源のある渓谷はすべてが先住民のものでした。南下した民族に使えるのは洪水に悩まされる黄河下流あるいは北方の冷涼とした乾燥地帯でした。治水技術が十分でない彼らは洪水に悩まされながらも黄河のより下流から淮河辺りをさまよい定住地を求めます。
紀元前4000年ころになると冷涼化の傾向は一旦は落ち着き数100年は安定した気候が続きます。これまで黄河文明の統一祖型であったシナ・チベット祖語を原語とする仰韶文化は3つ地域に分かれていました。新たに仰韶文化の仰韶村がある河南省には河南龍山文化、そして西の交易の窓口となる陝西省には陝西龍山文化、南下した民族とつながりが強い山東省には山東龍山文化が生まれました。
河南龍山文化はさすがに仰韶文化の中心にあった文化です。龍山文化の後期には部落連盟から王朝へと発展します。中国最初の王朝「夏」の出現です。夏人は山西省の農耕民と牧畜民を中心とする部落連盟でしたが次第に黄河の中流域河南省西部へと勢力を伸ばしていきます。その背後には同じ黄河文明だがより遊牧民に近い陝西龍山文化の圧力が見えます
一方の南下した民族はこのような「夏」の動きに対して淮河流域や山東省沿岸の民族と合同してこの動きに対抗します。なぜならこの民族は「夏」と山東龍山文化にはさまれていたからです。
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中国語の源流
「夏」が支配した区域が中国語の最初のるつぼでした。中国語の源はここにあります。夏で話された言葉は今も晋語として中国語とはやや違うタイプの言葉として残っていますがこの言葉だけではありません。中国語祖語にはシナ・チベット・ビルマ祖語と三苗族が代表する中国南部或いは東南アジア系の言葉が混じっています。
華南・陝西・山東龍山文化の結晶とも言える「夏」の出現は奇しくも中央アジアの西で生まれたスキタイのような王族、牧畜、農耕スキタイという生業による分類を可能としました。王族は中華文化の官僚いわゆるマンダリンです。今日もマンダリンは官僚と中国語の二つの意味をもちます。
生業の分割は言葉をも分割しました。牧畜民が話すチベット語祖語と中国語祖語にです。官僚は東アジア大陸の多くの地方を統治しなければなりませんからこの二つの祖語と代々の王朝が使う官僚用語から雅語という共通語を作りました。官僚と官吏それに関係する商人が使う文字を伴う言語です。
「夏」に続く王朝、三苗をルーツに持つ「殷」は文字という決定的な影響を中国語に与えます。それによりVO型いう動詞が前で名詞が後ろの文型を決定付けます。
しかし修飾語を名詞の後ろおく構文はさまざまな理由で定着しなかったようです。最大の理由は殷の後に来る周という王朝と最終的には中国全土を統一した秦が共にチベット語族だったからだと思います。チベット系の修飾語は名詞の前に来ます。
しかし現在の中国語になるまでには更に累計1000年に及ぶアルタイ語の影響を受けなければなりませんでした。
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