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言語によって性格や世界観が変わるか

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母語保障の子供が見た私 外国語に切り換えることによって世界観や性格が変わると言う人もいます。つまり外国語に熟達した人やバイリンガルは世界観も性格も使い分けていることになります。本当にそうでしょうか。 私は日本語と中国語がほぼ母語レベルで使えるバイリンガルです。英語もBBCのラジオを聴くことや字幕無しで映画が理解できます。しかしこの程度でも使う言語によって性格が変わるとは思いません。 たしかにときどき夢で英語をしゃべっている時があります。それを英語で考えているんだと思うこともあります。中国語に至ってはもっとひんぱんです。しかしそれらはどこかで聞いたパターンが走馬灯のように再現されているだけだと思います。目が覚めてしまうとうともう日本語以外で考えることはありません。 半分寝た状態は無意識がはたらき、考え事にいい影響を与えると言います。それで私はよくウトウトとしながら考えごとをします。夜中でも朝方でも少し意識が戻ればそのまま何かを考えます。テーマは向こうから現れるコトが中心です。意識はあえて戻しません。三分目覚めというか割りと無意識がかった状態で続けます。だいたい1-2時間でまた眠ってしまいます。時には朝方になってやっと寝入ることもあります。 この場合はなぜか考え事で眠れなかったという後遺症はありません。意外にスッキリと目覚めて考えた事もたまに覚えています。そこでも英語や中国語は現れますが意識三分の部分は日本語で考えています。無意識は言語と同じ構造だと心理学者は言います。これは思考自体が母語構造と深く関わっているせいだと思います。 また蛇足ですが短期記憶は覚えた後に10分ほどの時間を薄暗いリラックスできる静かな場所で過ごすと長期記憶に変わると最近の研究では言われています。 *** 言語によって世界観や思考方法が変わるというのは国家や民族の文化が大規模に入れ替わる時に起きるかも知れません。日本で言えば大化の改新、明治維新、そして戦後から現在までの三回がそれにあたると思います。 大化の改新は中華文化と文字と漢文と仏教信仰というそれ以前とは全く異なる文化を受け入れることになります。そのような時にもともとの文化を神話などで残すことがあります。大化改新では『古事記』でした。あの猛々しかったスサノオという日本古人のアイデンティティは島根の根

中国語の源流を求めて (5/5)南北中国語の融合

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ミャオ・ヤオ族敗走図  from Hmong mian diaspora むかしむかし6000年ほど前、中国の東北部がまだ暖かかったころ南方の民族も北で暮らしていました。例えば今は雲南や貴州に住むミャオ・ヤオ族のような人たちです。彼らは三苗族とよばれていました。 5000年ほど前から地球規模の冷涼化が始まります。数千年単位と気候としてはわりに短いものでしたが人類にとってはとても衝撃的なものでした。 気候は徐々に下がりついには4000年ほど前に現在の気温に落ちつきますが、新石器時代に発展していた中国東北地方或いはモンゴルの農業は壊滅的に破壊されます。温湿な森林焼き畑農業から乾燥した草原放牧に生業の転換を余儀なくされます。 人類はさほど器用ではありません。ましてや当時はまだ集落社会でしたからその部族ごとに生存を図ります。 現在は北欧に多い民族も元々はここにいましたが彼らはさらに北のツンドラ地帯へ向かいトナカイなどの放牧を生業とします。彼らはウラル語を話す人々です。 他にも中国語の原語シナ・チベット祖語を話す民族がいました。彼らは元々やって来た場所に戻ります。そこは黄河の中流域の黄河文明発祥の地「中原」とよばれる場所でした。 焼き畑を生業としていた部族はそれよりさらに南方から上って来ていた民族です。彼らの言葉は現在の中国語に似ていました。但し名詞の修飾語は名詞の後に例えば赤いリンゴは「リンゴー赤い」というように中国南方の言語の特徴を持っていました。 彼らの一部は朝鮮半島経由で日本に来たかも知れません。日本人の遺伝子に痕跡があるからです。しかし大部分は気候の変化に沿って黄河流域を目指したでしょう。 最終的に彼らは淮河の流域にまで到達したと思われます。淮河を越えると稲作には適当な土地が見つかるはずでした。しかしそこで彼らはこれまで出会った民族とちがう民族に出会います。同じ稲作民族でしたが水耕農業に長けた新しい文化を持った民族でした。敵対的ではなかったのですが土地の提供は拒否されました。 南方は彼らが北上してから数千年は経っていました。水耕稲作という焼き畑とは違う効率の良い農業が発達して人口も爆発的に増えていました。仕方なくまた黄河流域まで戻りますが黄河流域もシナ・チベット祖語を話す先住民が居ました。 彼らの望む耕作が可能な水資