投稿

2月, 2015の投稿を表示しています

翻訳ソフトTradosの使い方

イメージ
小島港の小物釣り →前回の続きです。 今回は自分のために書いています。Tradosでの翻訳ステップを記録してみます。参考にしてください。 ① 原稿を読み込む まずはTradosを立ち上げ原稿を読み込みます。    今回の原稿はワードでもらいました。Tradosはバージョン2011を使っています。 ② Tradosはさまざまな作業ファイルを形成しますので、原稿は作業用のフォルダに収納します。 そこからTradosで開きます。私はファイルコマンドの「開く」からこのワードファイルを読み込みました。 ③ Translation Memoryの選択画面が出てきたので新しい日本語から英語への空の翻訳メモリを作ります。 ④ 原稿が読み込まれ今回は23の節に分割されました。エクセルを立ち上げ、23の節をコピーしてエクセルに貼り付けました。エクセルに23行のデータが入りました。 ⑤ 今度はエクセルの23行を選択して、ウエッブのGoogle翻訳に貼り付けます。今回は日本語から英語ですから、Google翻訳はその通りにします。そして翻訳された内容を全部選択してエクセルの隣の列に貼り付けます。貼り付けが正確にできているか日本語と英語を比較します。最初と最後の列と幾つかの列が合っていれば大体問題はありません。それを原稿と同じフォルダに保存します。 ⑥ さらにエクセルをテキストファイルで保存します。Unicordのテキストファイルで保存します。そしてエクセルを閉じます。保存の時何回か「機能が失われます」とかが出てきますがそれは無視してOKとします。 ⑦ 次にTrados2011を購入したらついてくるTrados2007の中の「SDLX」というソフトを立ち上げます。立ち上がった画面から「Maintenance」というメニューを選びます。そしてTMというコマンドを選び「New」で新しいTMを作ります。名前は自由ですが保存場所は同じフォルダに入れておきます。 ⑧ 更にTMから以下の順序でエクセルで作成したUnicordのファイルを読み込みます。 TMのImportを選びDelimitedファイルを選びます。 そこから更に→Add→Add Selectionでさきほどエクセルで作ったUnicordのファイルを開きます。 次に言語選

弥生の言葉から

イメージ
温帯指数分布図 どんぐりと生きるより 図は →『どんぐりと生きる』 からみた温度量の指数分布図です。 東アジアは大体今から5000年ほど前に気候が安定し現在の状況になったと言います。この図はその安定した後の温度分布に因るドングリの生存域、つまり植生のちがいを表しています。 *** 120度から140度は照葉樹林の生育に適した地域です。つまり水稲栽培にもっとも適した地域とも言えます。図の薄緑の範囲であれば、水稲栽培をもたらした弥生人はなんの苦もなく自身の勢力を拡大することが可能だったでしょう。 温度量が100度から120度ではそうは行きません。 乾燥していましたから水稲栽培にはそれなりの経験と技術が必要になります。それでも弥生人はこの地域まで進出します。温度は多少低いのですが、九州の阿蘇山地での経験や黒潮、対馬海流が助けてくれたのかも知れません。少なくとも山陰、そして山陽の山地、北陸、京都・奈良盆地、東海、関東まではなんとか勢力圏を広げるのが可能だったでしょう。 しかし最高で100度にしか達しなかった地域ではどうでしょうか。 それは山陰、兵庫、熊野などの山間地に孤立する地域です。彼らは焼畑農法をまもり、弥生人とはまた異なる縄文文化を維持したのではないでしょうか。そういう意味では阿蘇山地や四国山脈、山陰、近畿、北越、関東もかならずしも水稲栽培に突き進んだとは言えないかも知れません。 この図で見るかぎり現在の日本語の祖語、つまり弥生語が力をもっていたのは薄緑色の地域に限られるような気がします。

大陸渡来人

イメージ
幼いころ遊んだ街角 長沙街二段 馬祖廟 前回 →上戸と下戸 遺伝子について書きました。今回は中国大陸由来の遺伝子O3から渡来人を考えてみたいと思います。 *** 中国人のほとんどが持つ「O3」遺伝子には代表的な2つの変異型があります。 「O3*」と「O3e」です。 「O3」遺伝子のうち「O3*」はO3-M134とも呼ばれ中国ではシナ・チベット語族とミャオ・ヤオ語族によく現れます。一方の「O3e」遺伝子はO3-M7とも呼ばれオーストロアジア語族によく現れる遺伝子です。二つの遺伝子の分布のちがいは一方が雲南省などの内陸部に多く、一方がベトナム沿いの海岸部に多いということになります。 この2つの遺伝子だけでも中国人の父系のY染色体の半数以上を占めているので中国人のマーカー遺伝子とも言われています。 このO3遺伝子の分布を前回のブログの表を元にさらにくわしく見ていきます。 旭川人   O3: 11.7% O3*  7.5%  O3e 4.4% 関東人   O3: 14.5% O3*  7.2%  O3e 7.3% 名古屋人 O3: 21.8% O3* 15.0%  O3e  6.8% 関西人  O3: 23.9% O3* 13.5%  O3e 10.4 % 沖縄人   O3: 20.6% O3* 16.0%  O3e   4.6% 韓国人  O3: 44.5% O3* 17.2%  O3e 27.3% 上海人   O3: 43.3% O3* 26.6%  O3e 16.7% 台湾人   O3: 58.2% O3* 29.2%  O3e 29.0% *** それぞれの地域におけるO3eとO3*の比率を比べてみました。 韓国ではO3eはO3*の1.6倍になりました。 これは韓国人の先祖のうち海岸沿いに上って来た人数が内陸部から来た人数より多いということになります。あるいは中国のより南部から渡ってきた先祖のほうが、韓国では揚子江沿いに渡って来た先祖よりも人数が多かったことになります。 日本の場合はこの逆のようです。 揚子江沿いに海岸に出てから日本に来たO3*遺伝子が多く現れます。 渡航元の上海の遺伝子の比率からも日本の中国大陸系の渡来人の多くがこの地から来たことを伺わせます。

上戸と下戸から見た日本人

イメージ
私はお酒は好きですが上戸ではありません。そこそこ飲めるという程度です。 図は筑波大学の中村貴子氏の →『お酒やコーヒーなど日常的飲み物と日本人の遺伝子』 にある日本人のアルコール耐性遺伝子に関するものですが氏は人の上戸下戸はミトコンドリア内にあるALDH2酵素のタイプによって分かれると言います。 また同じ筑波大学の原田勝二氏は「飲酒様態に関与する遺伝子情報」でこの遺伝子は弥生民族が水耕稲作と共に持ち込んだものと指摘しています。その意味では弥生渡来人のマーカーだと言えます。 ではそのマーカーから自分の出自が分かるのかと考えこのブログを書いてみました。 *** このお酒に関連する遺伝子はALDH2という酵素を体内に作ります。この酵素には3つのタイプがあってNN型は酒に強くいわゆる上戸のタイプです。DD型は全く飲めないタイプです。そしてDとNが1つずつならそこそこ呑めるND型です。この酵素の働きはお酒を飲んだ時に顔が赤らむのですぐに分かります。私は顔が赤らんでもそこそこ飲めるのでDN型です。 *** 日本人の渡来の時期は大きく分けて縄文以前、縄文以降、新石器稲作弥生人と鉄器稲作弥生人の4つの時代に分けられると思います。そしてALDH2を持って来た渡来人は私の考えでは新石器弥生人がもっとも多かったのではないかと考えられます。それは以下の男系遺伝子の頻度から割り出したものです。 ① 日本人に一番多いのY-DNAはD型です。男性に40%近い頻度で出現します。 D型はチベット族にも多いDNAです。発生地はチベット付近でしたが数万年の内に別れてしまいました。日本への渡来ルートは様々です。日本には新石器時代初期かそれ以前に朝鮮半島経由あるいは海岸線ぞいに来たと思われます。この遺伝子は上戸が多い遺伝子です。 ② 次に多いのがO1b2型(SRY-465)Y-DNAです。約35%の頻度で出現します。 この遺伝子はインドシナ半島から中国東海・黄海、朝鮮半島沿岸部から日本にかけて高い頻度で現れます。これは東アジア海洋民族を示唆しています。この中にALDH2に対応する人たちが多く含まれていると思います。 彼らの渡来は稲作文明に関連しますから割と新しい時代の渡来と考えられます。しかし一度に渡来したのではなく大きな波が二回あったようです。

地名から日本語の源流を求めて

イメージ
安部清哉氏の南北型方言分布よ 地図は安部清哉氏がまとめた『日本語の「南北型方言分布」研究のための言語地図一覧』の中の『アジアにおける言語・文化・気候の複合型境界線(安部)』です。 この境界線の中の最重要地点は中国の淮河(図ではHuai River)です。この地点は北緯34度くらいで日本で言えば徳島市あたりになります。 淮河から西に向かい進むと西安市の南にある秦嶺山脈につきあたります。この秦嶺ー淮河線は降雨量1,000ミリの境界線であり気候のみならず言語・民族・文化の大きな境界線になっています。 実は日本語にとってもこの淮河ー秦嶺線が重要な意味をもっています。秦嶺ー淮河線の延長が日本語の南北方言の分布につながるからです。 日本語の祖語がなんであったかは分かっていません。 しかし日本人が多民族国家であることは遺伝子分析で分かっています。日本には有史以前に何回かに分かれて人類の渡来があり、その遺伝子が残されているからです。 南北型方言分布図で私が注目したのは河の呼び名と谷の呼び名でした。 大きな河を北では「河」とよび南では「江」とよびます。一方「谷や渓谷」は南では「渓」とよび北では「溝」とよびます。さらに注目したのは河の読み方は淮河を境界としている他にもう一箇所、中国の東北部にもこのような境界が一本縦に走っている点です。 この線はなぜか朝鮮族と満州族のあいだを縦に割っています。 中国の東北地方はひとかたまりのようですが、歴史上諸民族が存亡をかけて戦った場所です。 その満州族側の大河は「遼河」とよばれ、一方朝鮮族側の吉林省や黒竜江省の大河は「松花江」と「江」が付きます。ちなみに南西の民族が多く住む珠江流域や長江上流の金沙江はともに「江」がついています。 *** 日本語にもこのような土地によって呼び名がちがう例があります。 安部氏の →地図一覧 のなかに、鏡味明克氏の「溜池を『~堤』と称する地方」の南北図が入っています。PDFp30 (1984)  その地図では溜池を~堤と称する地方は、北海道を除き。九州の北西部から関門海峡を渡り山陰へ、そして日本海沿いに北上する印が示されております。印は東北に達すると太平洋側を含めた 東北全体まで広がります。 「溜池を『~堤』と称する地方」は日本を南北に分割しています。 Wik