上戸と下戸から見た日本人

私はお酒は好きですが上戸ではありません。そこそこ飲めるという程度です。

図は筑波大学の中村貴子氏の→『お酒やコーヒーなど日常的飲み物と日本人の遺伝子』にある日本人のアルコール耐性遺伝子に関するものですが氏は人の上戸下戸はミトコンドリア内にあるALDH2酵素のタイプによって分かれると言います。

また同じ筑波大学の原田勝二氏は「飲酒様態に関与する遺伝子情報」でこの遺伝子は弥生民族が水耕稲作と共に持ち込んだものと指摘しています。その意味では弥生渡来人のマーカーだと言えます。

ではそのマーカーから自分の出自が分かるのかと考えこのブログを書いてみました。

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このお酒に関連する遺伝子はALDH2という酵素を体内に作ります。この酵素には3つのタイプがあってNN型は酒に強くいわゆる上戸のタイプです。DD型は全く飲めないタイプです。そしてDとNが1つずつならそこそこ呑めるND型です。この酵素の働きはお酒を飲んだ時に顔が赤らむのですぐに分かります。私は顔が赤らんでもそこそこ飲めるのでDN型です。

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日本人の渡来の時期は大きく分けて縄文以前、縄文以降、新石器稲作弥生人と鉄器稲作弥生人の4つの時代に分けられると思います。そしてALDH2を持って来た渡来人は私の考えでは新石器弥生人がもっとも多かったのではないかと考えられます。それは以下の男系遺伝子の頻度から割り出したものです。

① 日本人に一番多いのY-DNAはD型です。男性に40%近い頻度で出現します。

D型はチベット族にも多いDNAです。発生地はチベット付近でしたが数万年の内に別れてしまいました。日本への渡来ルートは様々です。日本には新石器時代初期かそれ以前に朝鮮半島経由あるいは海岸線ぞいに来たと思われます。この遺伝子は上戸が多い遺伝子です。

② 次に多いのがO1b2型(SRY-465)Y-DNAです。約35%の頻度で出現します。

この遺伝子はインドシナ半島から中国東海・黄海、朝鮮半島沿岸部から日本にかけて高い頻度で現れます。これは東アジア海洋民族を示唆しています。この中にALDH2に対応する人たちが多く含まれていると思います。

彼らの渡来は稲作文明に関連しますから割と新しい時代の渡来と考えられます。しかし一度に渡来したのではなく大きな波が二回あったようです。

③ 最後はO2型です。日本人に20%ほどの頻度で出現します。

O2はシナ・チベット語族のマーカーです。OM-122がほとんどです。OM-122は現在の中国の華北の漢族に70%近い頻度で出現します。現在はさまざまな民族にも広がっています。この遺伝子は黄河文明からの男系の伝播だと言えます。彼らは基本的にはALDH2を持っていないと考えられます。しかし大陸はつながっておりまた朝鮮半島を経由してやって来ましたから彼らの内の20%程度はALDH2を保有していると思います。20%の20%ですから全体の4%になります。

このほかにも遺伝子がありますが以上で95%ですから日本人の男性は大体当てはまります。

O1b2型とO2型を足すと日本人の男性の中の40%が華南系と関連があることが分かります。当然弥生時代の終わりからすでに1500年も経っていますから現在の頻度で一言で割り切るのは無理がありますがだいたいの目安にはなります。

*Y-DNAは崎谷満氏の『DNAでたどる日本人10万年の旅』を参照しました。尚、この本のO1,O2はO1に統一しO3はO2とし新しい分類に従いました。

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アルコール関連酵素のALDH2は約2万年前に中国の南部で発生しました。

発生の理由は中国南部に多いマラリアや赤痢アメーバに対抗するためだったようです。マラリアも赤痢アメーバも共に高熱を発する病気ですから体温の調整を司るミトコンドリアにこの酵素が出現したことはなんとなくうなずけます。

このALDH2酵素はミトコンドリアにあるのでmtDNAを調べるだけでいいのだと思いましたがこの酵素を作る遺伝データは核ゲノムという男女が合わさった遺伝子にありますので一概には言えないようです。

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さて上のデータで検証して見ます。

比較の対象としては上戸県と下戸の県の上位第二位のデータの折半値としました。これは男女の被験者の比率はわかりませんが、得られたALDH2頻度は飲めないDDが8%、そこそこ呑めるNDが35%そしてガンガンいけるNNが57%でした。男性の場合は渡来系を除いた縄文系は約60%ですからNN型はほぼ一致します。

一方の全く飲めない人は8%でした。この人たちは純粋に華南からの渡来系の人たちが合わさった型だと考えられます。問題はいつの渡来かが分からないことです。

最近弥生時代が500年むかしに遡るという発見がありました。そしてその間は鉄器が無い時代だったと言われています。鉄器が普及するのは中国の戦国時代の中期以降ですから紀元前300年頃です。時代はちょうど以前の弥生時代とほぼ一致します。それ以前に来たのであれば当然新石器弥生人と考える必要があります。彼らは焼き畑陸稲栽培を持ち込んだ人たちと思われます。

この稲作の伝播と関連があるのがオーストロネシア語の太平洋諸島への拡大です。新石器弥生人はこの伝播と時を同じくして日本にも来たことが考えられます。それならば紀元前10頃となり新石器弥生人にも当てはまります。

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ではそこそこ飲めるの35%の人たちはどうでしょうか。
この中には鉄器と共に来たO2の人の4%も含まれますが大体がO1b2型の人たちと考えられます。

O1b2は1万年前に起きた変異ですから長期にわたって何度も日本に渡って来たと思われます。まずは黄河文明に押し出されそれでも劇的に増えたのは戦国時代の呉の滅亡と関連があると思われます。

呉は長年南方の越と戦っていました。越は呉よりも南ですからALDH2のDD型の保有は高かったはずです。呉も越に接してますからALDH2の影響を受けたはずです。彼らは共に海沿いの国家で日本や韓国には海沿いに移動できます。

そして呉は越に滅ぼされます。紀元前473年のことです。それで大量の難民が北東へと逃げ出したと思われますがしかし鉄器はこの時代はまだポピュラーではありません。持っていたとしても儀式用だったと思われます。

では鉄の農具と治水技術を伴って来たの誰でしょうか。私は朝鮮半島にいたO2系の人の可能性が高いと思います。O2系は漢族のマーカーとされますがそれは現在のことです。O2でシナ・チベット語族と関連が高いO-M117の頻度がもっとも高いのはビルマ辺りです。発生はこの辺りだったようです。

文化人類学者の鳥越健三郎は日本の稲作と高床式文化は揚子江の上流に住む民族と共通点を持っておりこのような共通文化を持つ民族を日本人も含め倭族として考えるべきだとしています。例えばしめ縄や鳥居も倭族が日本や韓国に持ち込んだと考証しています。その例としていま中国の南西に住むハニ族ですが彼らのY-DNAはO2が優位です。

中国の現在の少数民族はチベット族も含め漢族の周辺部へと追いつめられましたがしかし以前は黄河流域にも住んでいました。いやむしろ黄河文明の初期は彼らが主流だったと思われます。ですから彼らが朝鮮半島へと陸伝いにやって来たとしてもおかしくはありません。彼らが中国の東北部まで進出しその後寒冷化に伴い南下するのは紀元前3000年の頃です。

その後は半島を経由して次々と日本へ渡って来たとも考えられます。その間文明の進化に伴い鉄器も携えて来たと考えられます。

もしあなたが近畿に住んで酒に強いタイプは彼らを先祖に持つかも知れません。





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