弥生の言葉から

温帯指数分布図 どんぐりと生きるより
図は→『どんぐりと生きる』からみた温度量の指数分布図です。

東アジアは大体今から5000年ほど前に気候が安定し現在の状況になったと言います。この図はその安定した後の温度分布に因るドングリの生存域、つまり植生のちがいを表しています。

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120度から140度は照葉樹林の生育に適した地域です。つまり水稲栽培にもっとも適した地域とも言えます。図の薄緑の範囲であれば、水稲栽培をもたらした弥生人はなんの苦もなく自身の勢力を拡大することが可能だったでしょう。

温度量が100度から120度ではそうは行きません。
乾燥していましたから水稲栽培にはそれなりの経験と技術が必要になります。それでも弥生人はこの地域まで進出します。温度は多少低いのですが、九州の阿蘇山地での経験や黒潮、対馬海流が助けてくれたのかも知れません。少なくとも山陰、そして山陽の山地、北陸、京都・奈良盆地、東海、関東まではなんとか勢力圏を広げるのが可能だったでしょう。

しかし最高で100度にしか達しなかった地域ではどうでしょうか。
それは山陰、兵庫、熊野などの山間地に孤立する地域です。彼らは焼畑農法をまもり、弥生人とはまた異なる縄文文化を維持したのではないでしょうか。そういう意味では阿蘇山地や四国山脈、山陰、近畿、北越、関東もかならずしも水稲栽培に突き進んだとは言えないかも知れません。

この図で見るかぎり現在の日本語の祖語、つまり弥生語が力をもっていたのは薄緑色の地域に限られるような気がします。



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