投稿

なぜ象形文字で漢字だけが生き残れたか

ある人からなぜ象形文字の中で漢字だけがが生き残れたかを聞かれました。その回答を転載します。 私は漢字だけが生き残ったのは  歴史的タイミングと地域的な広がりのせいだと思います。 象形文字で代表されるのはエジプトのヒエログリフや漢字ですが漢字を除いてはほとんどが自民族や地方の用を足すほどの広がりしか持ちませんでした。ヒエログリフはナイル川流域で楔形文字はチグリス・ユーフラテス川の流域でです。これは一つには時代と地域の広がりに制限されたせいです。 一方中国の漢字も実は当初は同じようなものでした。黄河文明の発祥の地域に限定されていました。 しかし漢字が殷代という黄河文明の拡張期に出現して権力者に使われた事とさらには長江文明という巨大な異文化と合わさったのでその広がりと利用価値はエジプトやメソポタミアとは比較になりませんでした。異民族との交流が増えてコミュニケーション・ツールの共通化が必要になりました。漢字は言わば今のWindowsのようなものです。 中国の人口は秦が中国を統一した時は2000万人だったと言います。当時のエジプトの人口は約750万人だと言われています。だから人口では驚くほどの違いはありません。しかし秦代の中国は今の版図に近い広がりを持っていました。現在との単純比較ですが中国は面積ならエジプトの10倍そして民族は多様でしたので彼らとのコミュニケーションには誤解を取り除く手段が必要でした。その点漢字によるコミュニケーションなら象形的な冗長性によってパリティを保てます。 こうなれば当時の漢字の出現はマイクロソフトのMS-DOSの出現のようなものです。使いにくくても使わざるを得ません。そして改良が進みます。一方エジプトのヒエログリフやメソポタミアの楔文字は言わば日の丸OSのTRONのようなものです。世界の標準となるほどのマーケットを創り出す力はありませんでした。今も細々とコードは使われています。しかしこれも漢字以外の象形文字のように何れは消え去る運命にあるかも知れません。*個人的な予想 TRONプロジェクト - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/TRON%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88

日本語語彙の二重構造

日本語の命運が尽きたのは蘇我入鹿が暗殺された時でしょう。入鹿の心には日本は終わったなとの思いがあったでしょう。 乙巳の変 - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E5%B7%B3%E3%81%AE%E5%A4%89 その時から日本の文化は中国化が進み日本語は土台だけを残して語彙のほとんどを中国語(漢語)の支配下に置きました。さらには公文書から日本語が排除されて文法も漢文に統一されます。言語が終われば民族も終わりです。思考方法も変わります。日本はもはや大和民族の日本ではなく中国に冊封された国家になりました。それと同時に国名もヤマトと呼ばずに「に・ほん」または「にっぽん」と漢音読みにするようになりました。 「にほん」・「ニッポン」の意味は日の出る国と日本人は主張しています。しかし当時の唐の理解では東側の辺境の国でその向こうにはもう海と太陽しかない国」という意味です。ましてや朝ぼらけですから中国の承認を経て辺境に組み込まれたお陰でこの化外の地が薄ぼんやりと明るくなったと言うほどの意味です。言語学に詳しく「日本」の名付けを承認した唐の則天武后ならそれ位は考えていたでしょう。 この時から本来は素直な輪であったヤマト語に漢語のトポロジー位相が入ったと同じことです。それから日本人の思考は永遠につながらないメビウスの輪のようになりました。 メビウスの帯 - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%93%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%B8%AF 語彙(単語体系)とは何でしょうか。それは人類が営々と営んで来た思考体系の整体です。 一つの単語は孤立した単語ではありません。そこには音と意味が複雑に絡み合いそして脳や体の中で神経や電子を通じて瞬時にその語源を探し出して無意識だが体系的には合理的なネットワーク層を作り上げる意味の体系です。つまり語彙は解析ネットワークの根元なのです。 しかも現代ではこの思考や言語の連絡には量子的な要素が絡んでいる事が分かって来ました。つまり人間の言語処理は現在の0と1でしか計算できないコンピュータではなく量子的な「うなり」や「重なり合わせ」などの複雑な要素を利用しているのが考えられるようにな...

日本话的源流

我不知道日本人的祖语的确确来源。 但是从发音的形式来看,以元音结尾这可能可以想象到南方的言语有相关。即与菲律宾和印度尼西亚等南岛语言的关系。 据说,日本语言也与东北地区的阿尔泰语言有相关,与韩国和韩国近邻言语相似。但韩语和日语在语音上是完全不同的。 我以日语重音符来考虑这个问题。因为婴儿和幼儿在18个月内完全继承母亲的语音系统,之后不会改变。即使共同语言发生变化。 日语重音符可以分为四种类型。 东京型,京阪型,I型无重音型,以及鹿儿岛的II型。我认为这些变化是应该和母体基因有关系。 那么如果从日本的母体基因m-DNA得到了三个日语重音,或者四个。 因为I型无重音型出现在东京型的中间。一个地理位置在关东太平洋侧。另外一个在京阪型和鹿儿岛II型交界处。我想应该把它视为在某种程度上与日语起源有关。分别可以视为阿伊努语,或朝鲜古语。 但是I型重音的发生,专家们认为是这些地方因为和东京类型和京阪类型多年接触的结果,不像我考虑有自己的母系基因。 *** 京阪型重音被认为与弥生人有关。 大和王朝是由弥生人,即朝鲜半岛或大陆东夷民族为主要成分的王朝。日本人最多的母系m-DNA是D4。它接近现在的山东人。从整个日本人母系来看,还是接近韩国人,即朝鲜半岛南部的人。 东京式重音型实际上很难找到母系。 因为它在语言上是被京阪型覆盖的。可以说是原绳纹人和弥生人的混合体。这个形成了日本最大的重音地区,包括它远离东京的山阴,山阳地区,表示它的底层有绳纹人。 阿伊努的重音。因为阿伊努语与现在的日语完全不同。 阿伊努语被视为一种不同的语言。然而,阿依努人的母系基因和琉球人是有类似的。可以肯定的是绳纹人先而弥生人后,并且这是南方海洋民族。母系M7 m-DNA发生在中国东海南部代表这个母系。但是遗憾的是,冰河时代过了以后这个地方水没在海底。这个可能是个日语音韵的来点。 II型重音鹿儿岛。 是一个奇怪的重音。从这种重音的结构来看,我觉得鹿儿岛方言是一种与大和不同的语言。 这种重音学者称为syllable+phoneme。只有日本东北和九州南部,如鹿儿岛才有。非常接近韩国的语音。 但是说到鹿儿岛,可以想象它的有名的甘薯文化。鹿儿岛最初可能属于根菜栽培区。根菜栽培区是一个培育芋头,香蕉和甘蔗等植物的文化区域。  这种根菜...

翻訳の歴史 (Quoraに書いたもの)

イメージ
翻訳の前に先ず言語をスイッチする通訳から説明します。 古代から隣の部族との交渉の必要性から部族の女を嫁がせて嫁ぎ先で子供を生ませました。この事は社会的に考えられた事ではなく自然の優性遺伝の影響があるようです。チンパンジーにもこの習性がありますから人類発生以前の本能かも知れません。 隣の部族へ自分たちの部族の女性を嫁がせるのは台湾の原住民にもよく見られる婚姻関係です。 たとえ首狩り族同士で激しく敵対しているタイヤル族のグループ間でも、部族が違えば言葉が通じないことははザラにあります。それで何らかの交渉が起こる可能性がある、例えばタイヤル族で最も開けている埔里の埔社蕃と山向こうに住んでいる最も凶暴と言われた土瓜蕃でもこのような姻戚関係が結ばれていました。 女性たちは必要に応じて通訳や道案内になり、時には商業にたずさわって両者間のさまざまな仲介をします。そして子供が成長すると更に複雑な任を担います。男の子は言語のエキスパートになり争いがあれば交渉の任にもあたります。 このような口頭での言葉のスイッチングは小さなグループ間の間はさほど複雑ではありません。またその心的な理解も地方と個人に根付くものですから大規模な共通言語は不要です。ここでなら心がほぼ通じ合っているからです。 あまり言葉が通じない外国人同士の婚姻関係がうまく行くのもこの辺りの以心伝心的コミュニケーションで事足りるからかも知れません。 *** ところが翻訳となるとそう簡単ではありません。 なぜなら翻訳には双方の言語に文字がありフルセットの言語が文語化できる条件が揃っている必要があるからです。通常部族段階ではありえません。 文字が出現するのは征服帝国の出現とほぼ同時だと言われています。征服帝国とは部族間の連合による大部族の集団ではありません。この大部族集団のコミュニケーションも口頭の通訳で事足りるからです。そこには第三者の文化の強要と規則の順守の必要がないからです。 文字が中国で出現するのは殷の中期以降です。より開花するのが後期です。殷は中期以降徐々に周辺の異民族を取り込んで行きます。つまり征服して自分たちの土地を広げて行くのですがその時に多くの占いを行いました。 占いは最初は占い師が占ったのですが、後には占い師の占いに対し判断は王にゆだねられるようになりました...

私の中国ビジネス

イメージ
私は中国ビジネスに1973年から従事して、様々な事を体験し、それぞれの期間によい影響を与えてくれた人たちに沢山出会いました。しかしその中で最も大きな良い影響を与えてくれたのは日中の国交が回復するまでに日中貿易を支えてくれて尚且つ中国に対する私の姿勢を固めてくれた中国屋と呼ばれる諸先輩たちです。 彼らが中国屋と呼ばれるのは中国ビジネスの専門家だからではありません。もともとは貿易業務などを知らない一般人です。ですから大学を卒業して貿易会社に入った人に比べれば業務能力では劣ります。年齢も上ですから柔軟性にも欠ける面もあります。しかし人と人の付き合いに於いては彼らを凌げる人は誰もいないでしょう。 私の会社にも数人いました。私は数社を渡り歩いてますので数人は数社になります。しかしどの会社にも最低一人は居ました。彼らが中国とのもっとも太いパイプ役を務めていたからです。 中国貿易と言えば今やアメリカとの貿易を抜き日本の貿易全体の20%を超えるようになりました 。すでに日常化しており今や日中貿易無くして日本人の衣食住の基盤が危うくなります。日本人の収入の一部さえも占めるようにりました。しかしそのスタートは心ある人たちにより1949年の10月から1972年の9月まで実に23年のあいだ小川のように細々と流れて来ました。常にこの流れを断ち切ろうとする反対勢力の蠢動、しかも中国貿易は反政府的だと見なされ常に日本政府の公安部門の監視に耐えて営まれて来ました。 私は小学校時代を台湾で過ごした台湾育ちですからまさか台湾では鬼のように言われていたいわゆる中共貿易に加わるとは思っていませんでした。ましてや台湾の親戚も政府の要職についていましたから中国との関係を問われるとまずい事になります。しかし子供が生まれて背に腹は代えられません。それで台湾の親戚との往来を断ち切って中国貿易専門の会社に入社しました。そこで出会ったのが諸先輩方です。 このような人との出会いは初めてではありませんでした。私は中国研究所の付属中国語研修学校の本科四期の卒業ですが、同級生に年配の女性がいました。彼女は福井から上京して全日制半年間のこのコースを学んでいました。自己紹介で何故そこまでしても中国語を学びたいのかを聞かれると彼女は「中国人に恩返しがしたい、夫の罪滅ぼしがしたい」と言いました。 敗戦の時土地...

日本語の四つの源流

イメージ
日本語アクセントの地域分布 日本語の源流となる祖先の言葉は分かっていません。 その母音で終わる発音の形態から南方の言葉、つまりフィリピンやインドネシアなどの南島語との関連が指摘されています。しかし様々な類似がありますが確たる証拠は見つかっていません。 文法も面からはお隣の朝鮮・韓国語との類似から東北中国に多いアルタイ言語との関連があるのではと言われています。しかし朝鮮・韓国語とは音韻的には相当違う言葉です。 日本語のアクセントを分けると大体四つのタイプに分かれます。 東京型、京阪型、アクセントのないI型それに鹿児島のII型アクセントです。私はアクセントを作るのは母系遺伝子のせいだと考えています。なぜなら乳幼児は18か月までに母親の音韻体系をそっくり受け継ぎその後は変わらないからです。例え共通語が変わっても地域のアクセントは保たれます。 そこで私は日本人の母系遺伝子から日本語のアクセントは三つありそれがなんらかの意味で源流に関連しており、それにアイヌ語を加えて四つと考えて見ました。I型のアクセントを除いたのは、I型アクセントが東京型と京阪型が長年接触した結果であり、どちらにもつかない平板アクセントが形成されたためと見て独自の母系を持たないと考えました。 京阪型のアクセントは弥生人との関連が考えられます。大和王朝は弥生渡来系とその後の朝鮮半島・大陸渡来系の民族が形成した王朝ですがここで話される日本語は京阪型のアクセントを持っています。 東京型のアクセントは言語的には京阪型の言語に関東東北型のアクセントや語彙が加わったものです。北九州や山陰・山陽ではこの東京型のアクセントが主流ですがこれはもともと弥生渡来人とは敵対的な縄文人が多い地域であったことと後に鎌倉系の毛利氏の拠点となったことが京阪型ではなく東京型のアクセントとして残ったものだと考えます。 次にアイヌ語のアクセントですが、アイヌ語は現在の日本語とはまったく違います。またアクセントの地図上でも北海道は東京型アクセントになっておりアイヌ語は別言語扱いです。しかし縄文人を代表するY-DNAのD1bがアイヌ人では90%近くの頻度で現れるので縄文人の主要な人的供給源であったことは間違いありません。また語彙統計学の分析によればアイヌ語と日本語は深層ではオーストロアジア語族とつながっている...

古希の生き方 高校生になる

イメージ
1968年の私 前から3列目右から2人目 人生70古希なりました。69才の誕生日を越えたばかりですから旧暦の古希です。 振り返るとさまざまな事がありました。あ~神様がくれたのはこんな人生だったんだ。と思っているとBBCに [How long are you going to live?] と年齢・国籍・性別を入れると現在生きている人の残存余命と死ぬまでの健康度を出してくれる記事がありました。 さっそく入力すると年齢は89才、健康度は75%です。人生はあと20年、健康は85才以降は危ない状態であると勝手に判断しました。というわけではありませんが今年の4月夜間の工科高校に入学していました。目的はメリハリのある老年期です。 高校はハタチ前にやはり夜間の天王寺高校を中退しています。天王寺高校の夜間部は廃止されて私の記録は残っていません。唯一あるのがこの集合写真です。これですでに取った単位を証明することはできないそうです。それで1年生として入学しました。 単位が証明できないと聞いた時内心しめたと思いました。これで3年間の規則正しい時間割ができました。最近は通訳の仕事もめっきり減って家に閉じこもることが増えていました。だからこの時ほど高校を中退して良かったと思ったことはありません。 塞翁が馬如何に禍福を知るかです。正に高校中退によって永遠に失ったと思っていた鍛練の機会が老後になって戻って来ました。 *** 体育の体力測定では現役高校生の50~70%という結果が出ました。持久走はさんざんでしたが50メートルハードルはなんとかできました。できれば10キロほど減量して卒業時にはハーフマラソンができるようになりたいと思っています。