投稿

2017の投稿を表示しています

心の中の言葉

イメージ
心の中の言葉 ①「脳が心を生み出す」→「心像」 失語症の研究者山鳥重氏は言葉の元は「心像」だと言いいます。「心像」とは心の中にあるイメージです。この心像は外界からの刺激を受けて、それを新情報としてとりいれる際に、感情や感覚に滞りが起きて、それがイメージとなり一定のカタチになって心で像を形成するものです。 この「カタチ」は心の中では意識されます。 ②「語義の理解」→「呼称」 人間が文章を理解する時、まずは単語を見て「呼称」を確認します。つまり呼び名の音を心で聞きます→その音によりその単語の意味を理解します。その後センテンスを理解して長文を理解する順序をだどります。この呼称により意味のグループからふさわしい語義を抽出します。 語義のグループはある空間的に存在する語彙群です。失語症にはこの空間的存在が壊れて言葉が出ない場合があります。つまり単語とはこのように空間的に存在し「呼称」によってカタチとなって現れるものです。「呼称」によって全体の中から一部が抽出されるのです。 余談ですが山鳥氏は失語症の患者は最初の音に引っかかる例があると言います。単語抽出の最初の音がでないと「呼称」は不可能ですから語彙から単語を引き出せません。 またある種の患者にとって固有名詞は簡単だが普通名詞はむずかしいと言っています。一方では固有名詞が人物の場合は意味記憶が後からでも追加されるのでそれで思い出し難いとも書いています。 つまり単語は脳の中で一つ一つの単語として独立して保存されるのではなく音によって呼び出される心像です。心像は一旦音韻と結びついた音韻塊心像群としてひとかたまりで保存されます。しかし不変ではなく情報の追加とともに変化して行くものなのです。 *** ③ プロソディ=リズム・抑揚・強勢(英語らしさ) 心の中の声「思考」を言語音の流れに変換することはプロソディにかかっていると言います。プロソディとはその言語が持つ「らしさ」です。外国語だけでなく大阪弁も東北弁にもプロソディがあります。大阪弁を話すには大阪弁特有の強勢・リズム・抑揚が必要です。このプロソディがなければ方言特有の表現も出てこないので英語も英語のプロソディに慣れていないと発話は難しいと思います。 ④ ペラペラと分かるは違う 私が教えた例ではありませんが小学校の五年生で日本に

言語によって性格や世界観が変わるか

イメージ
母語保障の子供が見た私 外国語に切り換えることによって世界観や性格が変わると言う人もいます。つまり外国語に熟達した人やバイリンガルは世界観も性格も使い分けていることになります。本当にそうでしょうか。 私は日本語と中国語がほぼ母語レベルで使えるバイリンガルです。英語もBBCのラジオを聴くことや字幕無しで映画が理解できます。しかしこの程度でも使う言語によって性格が変わるとは思いません。 たしかにときどき夢で英語をしゃべっている時があります。それを英語で考えているんだと思うこともあります。中国語に至ってはもっとひんぱんです。しかしそれらはどこかで聞いたパターンが走馬灯のように再現されているだけだと思います。目が覚めてしまうとうともう日本語以外で考えることはありません。 半分寝た状態は無意識がはたらき、考え事にいい影響を与えると言います。それで私はよくウトウトとしながら考えごとをします。夜中でも朝方でも少し意識が戻ればそのまま何かを考えます。テーマは向こうから現れるコトが中心です。意識はあえて戻しません。三分目覚めというか割りと無意識がかった状態で続けます。だいたい1-2時間でまた眠ってしまいます。時には朝方になってやっと寝入ることもあります。 この場合はなぜか考え事で眠れなかったという後遺症はありません。意外にスッキリと目覚めて考えた事もたまに覚えています。そこでも英語や中国語は現れますが意識三分の部分は日本語で考えています。無意識は言語と同じ構造だと心理学者は言います。これは思考自体が母語構造と深く関わっているせいだと思います。 また蛇足ですが短期記憶は覚えた後に10分ほどの時間を薄暗いリラックスできる静かな場所で過ごすと長期記憶に変わると最近の研究では言われています。 *** 言語によって世界観や思考方法が変わるというのは国家や民族の文化が大規模に入れ替わる時に起きるかも知れません。日本で言えば大化の改新、明治維新、そして戦後から現在までの三回がそれにあたると思います。 大化の改新は中華文化と文字と漢文と仏教信仰というそれ以前とは全く異なる文化を受け入れることになります。そのような時にもともとの文化を神話などで残すことがあります。大化改新では『古事記』でした。あの猛々しかったスサノオという日本古人のアイデンティティは島根の根

中国語の源流を求めて (5/5)南北中国語の融合

イメージ
ミャオ・ヤオ族敗走図  from Hmong mian diaspora むかしむかし6000年ほど前、中国の東北部がまだ暖かかったころ南方の民族も北で暮らしていました。例えば今は雲南や貴州に住むミャオ・ヤオ族のような人たちです。彼らは三苗族とよばれていました。 5000年ほど前から地球規模の冷涼化が始まります。数千年単位と気候としてはわりに短いものでしたが人類にとってはとても衝撃的なものでした。 気候は徐々に下がりついには4000年ほど前に現在の気温に落ちつきますが、新石器時代に発展していた中国東北地方或いはモンゴルの農業は壊滅的に破壊されます。温湿な森林焼き畑農業から乾燥した草原放牧に生業の転換を余儀なくされます。 人類はさほど器用ではありません。ましてや当時はまだ集落社会でしたからその部族ごとに生存を図ります。 現在は北欧に多い民族も元々はここにいましたが彼らはさらに北のツンドラ地帯へ向かいトナカイなどの放牧を生業とします。彼らはウラル語を話す人々です。 他にも中国語の原語シナ・チベット祖語を話す民族がいました。彼らは元々やって来た場所に戻ります。そこは黄河の中流域の黄河文明発祥の地「中原」とよばれる場所でした。 焼き畑を生業としていた部族はそれよりさらに南方から上って来ていた民族です。彼らの言葉は現在の中国語に似ていました。但し名詞の修飾語は名詞の後に例えば赤いリンゴは「リンゴー赤い」というように中国南方の言語の特徴を持っていました。 彼らの一部は朝鮮半島経由で日本に来たかも知れません。日本人の遺伝子に痕跡があるからです。しかし大部分は気候の変化に沿って黄河流域を目指したでしょう。 最終的に彼らは淮河の流域にまで到達したと思われます。淮河を越えると稲作には適当な土地が見つかるはずでした。しかしそこで彼らはこれまで出会った民族とちがう民族に出会います。同じ稲作民族でしたが水耕農業に長けた新しい文化を持った民族でした。敵対的ではなかったのですが土地の提供は拒否されました。 南方は彼らが北上してから数千年は経っていました。水耕稲作という焼き畑とは違う効率の良い農業が発達して人口も爆発的に増えていました。仕方なくまた黄河流域まで戻りますが黄河流域もシナ・チベット祖語を話す先住民が居ました。 彼らの望む耕作が可能な水資

言葉の孤児 日本語と韓国語

イメージ
世界の言語の中で孤児と言われている言語に日本語と韓国語がある。さらに日本と韓国は構文がほぼ一致するのに音韻体系がまったく違うという不思議な言葉である。まず漢字音を除けばまったく違うのである。この2つの地域は狭い対馬海峡で隔たれており氷河期には歩いて渡れたという。 音韻体系とはある人間が母語から学ぶ音の区分体系である。日本人には日本語の音韻体系があり、韓国人には韓国語の音韻体系がある。この音韻体系はほとんどが母親から学ぶと言っても過言ではない。最近読んだ研究では音韻体系は14ヶ月で確立するとあった。それ以降は他の言語の音韻体系は理解できないとある。 『外国語に母音を挿入して聞く「日本語耳」は生後14ヶ月から獲得』 理化学研究所2010 日本人の母親と韓国人の母親が民族的に大きく違うのかというとそうでもない。NHK出版『日本人になった先祖たち』篠田謙一氏の日韓母系遺伝子の分布を見ればあまり差がない。とすれば母系の遺伝子よりも母系に言語的な影響を与えた要因が考えられる。 言葉は生ものである。最近特に感じるのが言葉が変質しやすいという点である。英語なんかはここ1500年ほどで全く変わってしまった。構文的にはもは屈折語とは言えないようだ。しかし音韻はゲルマン系にたどり着くことができる。だから英語は孤児ではない。母親の実家がわかるからだ。というわけで日本語と韓国語の実家を調べるとどうだろうか。 『言語学者の大野晋氏は日本語の成立は 弥生文化の成立とともに 朝鮮南部の言語が北九州から近畿にひろまり弥生文化の東方への拡大に伴って東にまで広まり、奈良時代の言語に似た原始日本語が成立したと推測している』と都出比呂志氏が岩波新書1325に書いているが、弥生時代自身が最近の研究では500年もさかのぼり更に当初の稲作と鉄器の同時伝来が否定され、初期の600年は石器だけの時代となり、且つ伝播が遅々として進まなかった事が分かって来たので、この弥生文化=移民文化=移民言語という単純な論理が成り立つかは疑問である。 日本語と韓国語の構文がアルタイ語系であるらしいと思っている人は多い。だがアルタイ語のような膠着語はアルタイ語系のみならず世界の半分の言語を占めている。中国語の親戚であるチベット・ビルマ語もそうである。シナ・チベット・ビルマ語族はアルタイ語族とは別だから日本

日本人の英語読解力

イメージ
MetaMetrics Lexile white paperから アメリカの義務教育の現場には Lexile という子どもの英語読解力を示す指数があります。すべての教育現場とは言えませんがアメリカの多くの学校で採用されています。 アメリカの義務教育期間は日本の幼稚園の年長から高校3年までの13年間ですがこの間Lexileは読解力の指標として使われます。 この読解力という項目はOECDの学習到達項目の一つです。しかし日本の国語教育ではこのような指標はありません。ただ「読む力」とアイマイに定義されているだけです。また日本の学童は一般的に読解力が弱いと指摘されています。国語教育がこのように弱体ですから母語の基礎の上に立つ外国語のひ弱さは否めません。 なぜ読解力が重要かと言いますとそれはすべての学習能力の基本であり読解力がなければ次のステップへと進めないからです。その為にアメリカの教育現場では読解力の成長を細かく区分けして見守っています。 表は「英検・TEAPに関する読解度指標であるLexile指標を用いた検証」を参照したものです。その他Amazonの英語難易度別リーディングからTOEICのRの得点とLexileのレベルの関係を共に中間値で拾い出しました。 年齢進級時 K Level 日本の級 Lexile M 英検 TOEIC R Lexile M 5             6 0 年長         7 1 小1 208       8 2 小2 358 5級     9 3 小3 588 4・3級 125 600 10 4 小4 793 2級 200 775 11 5 小5 925 2級 275 850 12 6 小6 1,010 2級 325 950 13 7

大阪好玩處 日本老屋公園

イメージ
大阪的北邊服部綠地 (Hattori-Ryokuchi) 有日本民家集落博物館。這裡大約有10間古老的農民居家供遊客觀賞。 每個屋子都已超過了百年以上的歷史,有的甚至超過了四百年。 照片的房子是从信州(長野縣)移遷過來的山地農家。長野縣位於日本的中央,是富士山腳的豪雪地帶,冬天的氣溫會降到零下20度。 从外面觀賞房子的規模,我想應該是比較富有的農家,可能是庄家(日語,就是村長的房子)。 但是一進房子,看了說明,原來其外部的牆壁是只用茅草遮蓋,後面没有土牆壁。屋內的地面也沒有像其他地方的農家抬高,根本沒有榻榻米的鋪設,直接把草蓆鋪在泥土地面上。並且為了防止性口的凍僵,人馬都居住在一個房子裡,環境非常惡劣。 我聽說過去日本農民的生活是非常困難,但還是想應該比中國農民好些吧。可是我看到了這個農家以後,我的想法也改變了,日本農民的生活是窮到極點啊。由於嚇了一跳,忘記拍照房子的外觀,所以這張用了公園網上的照片。 希望您去參觀實際的日本農家生活。 →服部綠地公園 下一个是离机场不远的 →大阪好玩處 彌生人